小田部家の歴史
関東の名山、筑波山の麓、真壁町に勅許御鋳物師の称号を持つ小田部家が、河内国(現在の大阪府)から、源頼朝によって開かれた鎌倉幕府の新興武家政治の兵備の一端を担うべく馳せ参じたのは、実に800年の昔、建久年間の事でありました。鋳造には欠くべからざる良質の砂と粘土を、筑波山麓に発見して、真壁の在に居を定めたと言われております。
寺院の梵鐘を鋳るのが家業でしたが、幕末の頃には黒船撃退のための大砲の鋳造を、昼夜兼行で行った事も記録に残っております。戦時中は金属類の強制供出によって、多くの由緒ある梵鐘が地金として徴発融解され、その中には多くの小田部鋳造の梵鐘がありました。戦後35代目庄右衛門は、梵鐘と共に家庭用品、工業用品等も製造しておりました。
現在では、関東地方唯一の梵鐘、半鐘、天水鉢製造元になり、37代目庄右衛門によって家業が引継がれております。
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